外に出ていくと、色々な人に時々言われるのが、
「一人で大変ね~。」という言葉。
というのもムスメたちはまだ2歳と1歳。年子なんです。
一人をおんぶしながら、泣きじゃくるもう一人をたしなめるなんてことはしょっちゅう。
ぱっと見大変そうなんでしょうね。
でも子育てに関して言えば、子育てってこーゆうもんでしょ?!っていう感じで前から腹くくっていたので私からしたら特別大変だとは思っていないのですが。
ただ、他の年子の子育てをしているお母さんたちとちょっと違うところは夫がうつで家から出られないという事。
最近のうつ男くんと言えばレベル1なもんで。
うつレベルに関する記事はこちら↓↓↓↓
https://www.utsu-koi.com/entry/2020/01/19/002329
レベル1、つまり布団に張り付いている状態ですね。
まるで「バブルスライム」。
そうそう、ホントこんな感じ。
まぁ、冬場の朝なんて布団から出る前はほどんどの人がバブルスライム状態なのではとも思いますが。
ということでしばらく家族で外に出ていないのです。
夫がインドアである一方、わたしは一日に一回は外に出たいアウトドア派。
子供には太陽を浴びさせて広い空間でおもいっきり自由に遊ばせてあげたい!
ということで悪天候でない限り大体午前中は外遊びへGo。
極寒の1月でも上着を着ずに走り回る2歳児。
そして生後1か月の時から真冬の寒空に2時間は連れ出され続けた1歳児。
おかげで子供たちはとっても丈夫な身体に向かって順調に成長しています。
それはいいとして。
外で私たちに会う時は大体女子3名なわけなんです。
だからどうしても母が独りで頑張っている感が出てしまう。
だから「独りで頑張っててエライね」
なんて言葉をかけてもらうのでしょう。
でもそんな言葉を聴いて、私はふと立ち止まったのです。
「私は独りで子育てを頑張っているのか?」
「私は独りなのか?」
答えはすぐに出ました。
「それは違う」と。
確かに、物理的には私が一人で子供を外に連れ出して一緒に遊んだり買い物したりしてます。
家に帰れば三度の食事の支度をして一筋縄じゃいかない子供たちに食べさせ、片づけをしてお風呂に入れて寝かしつけをするところまで一人でやっていることがほとんど。
夫が単身赴任中で家の事を何もしてもらえない妻の状態と近いかもしれない。
でも、表には見えない人の支えが私にはあるのです。
それはうつ男くんの支え。
一日3回の食事のあとには必ず「ありがとう」。
子供と外へ出ていくときにも「ありがとう」帰って来たときにも「ありがとう」。
一体私はうつ男くんから一日に何回の「ありがとう」をもらっているのだろう。
もしかすると、ありがとうって言ってもらわなかった日はないかもしれません。
いつも言ってもらっているとそのありがたみを忘れてしまいそうになりますが、間違いなく私の力の源になっているのです。
本当は家族の為にもっと仕事をしたい、家族で一緒に遊びたい、出かけたい、笑って過ごしたい…と一番強く願っているのはうつ男くん。
でもそれが出来ない、心からそうしたいと思っているのに出来ないのです。
だけど今自分に出来る精一杯のことをしてくれています。
それは布団の中からエールを送ること。
そう、うつ男くんの「ありがとう」はただの礼儀とかあいさつではなくて、色んな気持ちを抱きながら出てきた心からの「ありがとう」なんです。
それをわたしは一日に何回も受け取っている。
わたしって結構幸せな妻なんだ!
こうして執筆しながら今気付きました(笑)
私がうつ男くんを支えているようで、結局支えてもらっているんですよね。
ほんの一言から、そこに込められている気持ちを推し量ることの大切さを日々教えてもらっています。
わたしは坂本九さんの歌や歌声がだいすきで今でもよくCDをかけて聴いているのですが、特に好きな歌は「心の瞳」。
合唱曲としても有名ですよね。
この曲は坂本九さんの遺作であり、テレビで一度も歌われることのなかった伝説の曲。
この歌詞のなかにこのようにあります。
心の瞳で きみを見つめれば
愛すること それが
どんなことだかわかりかけてきた
歌詞を全て知りたい方はこちらを参照。
この時代特有のストレートな表現って、なんかいいですよね~。
生活しているとついつい目に見えることだけで判断しがちな私。
でもちょっと立ち止まって「心の瞳」で見ようとするときに、大事なものに気付かせてもらっています。
今年のテーマソングにしようかな。
主に私を支えてくれているのは夫ですが、家族や友人の一人一人の支えがなければ間違いなく私達は生き延びてはいないでしょう。
皆さん、本当にありがとう。
そのおかげで私は決して独りではありませんよ!!
正直この先の人生どうなっていくのか全くわからないですが。
でもそんなの全ての人に言えることだし。
完全に保証された安定した生活なんてどこにもないですからね。
でも、「心の瞳」で物事をみていくときに、必ず行くべきところに行きつくんじゃないかなと思っています。
今日も明日も一歩ずつ。